塾員社長特集!第一弾!アドバンテッジパートナーズ 笹沼泰助氏
社長ランキングで常にトップの座に君臨する慶應。今回は、そんな大物たちの中でも一際の輝きを放つ、ア ドバンテッジパートナーズ代表、笹沼泰助氏へのインタビューに成功した。気品あふれる落ち着いた佇まいは、映画から飛び出した「一流紳士」そのもの。見かけもさることながら、深みに満ちたお話には、ビジネスマンとしての人生のエッセンスが詰まっていた。
【笹沼泰助氏】
昭和28年11月23日生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業、積水化学を経て、慶應義塾大学大学院経営管理研究科を修了。ベイン・アンド・カンパニーに在籍した後ハーバード大学政治行政大学院(ケネディスクール)を修了。その後、米国にて戦略コンサルティングファームのモニターカンパニーで勤務した後、国際税務関連ビジネスを立ち上げ、成功を収める。事業を売却し、アドバンテッジパートナーズを設立、現在も代表パートナーとして第一線に立つ。
【アドバンテッジパートナーズLLP】
1992年設立。日本初にして最大の独立系プライベート・エクイティ・ファンド(*)。これまでにダイエー、ポッカ、東京スター銀行などを投資先とし、その数は国内最多の28社にのぼる。本社は東京都港区虎ノ門。
―本日はお忙しい中、本当にありがとうございます。
こちらこそ、わざわざありがとうございます。
―今回は、慶應ジャーナルの取材ということで、慶應の学生時代のお話を中心にお伺いしたいと思っております。笹沼さんの学生時代はどのようなものでしたか?
ちょうど私が入学した時は学生運動で学校がロックアウトされていました。授業がはじまったのは、確か数ヶ月遅れでした。慶應自体はそんなに学生運動が激しいところではないのですが、それでも時代の流れが凄かった。混乱の時代でこれから日本がどうなっていくのだろうか、自分が社会でどういったポジションを取っていくべきなのか、深く考えさせられながらスタートして、それが四年間続いた学生生活でした。
―サークル活動などはやられていましたか?
私はゴルフの同好会に入っていて、それはそれで平穏で楽しい日々を過ごしていました。
―ゼミはどちらでしたか?
ゼミは文学部社会学専攻の関本昌秀先生のもとで、産業社会心理学を学んでいました。もちろん、法学部政治学科なので、政治学の中の主に国際関係を授業で学んでいました。
―現在、経営者になられたきっかけは、学生生活の中にありましたか?
先ほどの関本先生が、「ビジネスの世界で生きるのであれば、最も偉大なことは、ゼロから事業を立ち上げることだ」とおっしゃって、それが自分の中に強く残っていました。あと、「君たちはいずれ会社に入って、その中でいろんな迷いがあるだろうけれど、30歳までには道を決めるように」というのが教えでした。
その30歳という数字に強い合理的な根拠があるわけではなく、29歳でも31歳でもよかったのかもしれませんが、一つの区切りとしてはちょうど良い年齢だと思っていました。
大学を出て私は積水化学に就職したのですが、それなりにステップアップしながらも、事業を興したいという気持ちが常にあったんですね。それで30歳の誕生日に、会社をやめて独立する決意をしました。
今思えば、カツカツの生活をしていました。
―そこから慶應ビジネススクールに通われたのはなぜですか?
当時、自分が事業を興したいと思っても、そのための知識も無く、起業の方法もほとんど知らなかったのです。それまでの仕事は人脈や「積水化学」という看板があって成立したもので、自分で独立して出来ることはほとんどなかった。だから、そのためにビジネススクールで勉強する必要性を感じました。
―ビジネススクールに在学中はお仕事はされてなかったんですか?
お金はなかったのですが、幸運にも塾長奨学生というものに選んでいただいたので、学費は相当免除していただけました。ただ、それでも両親への返済に充当したりして、出費が少し戻ってきた程度だったので、長い休みにはアルバイトをして生活費を稼いでいました。今思えば、カツカツの生活をしていました。
私は矢作恒雄教授の戦略論のゼミに入れて頂きましたが、経営学の科学的手法と経済人としての倫理観について徹底的に仕込まれました。そのときの教えが現在の私の大きな糧になっています。
―MBA(*)を取得してから、またケネディスクールに行かれたのはどういった転機があったのですか?
慶應ビジネススクールを出た直後にケネディスクールに行ったわけではなく、2年間、ボストンに本社があるベイン・アンド・カンパニー(*)というコンサルティングファームの東京オフィスに在籍しました。ベインには世界中からビジネスが集まるからきっと今度こそは、新規事業を思いつくシーズに出会うに違いないと思っていました。しかし、今度は仕事が本当に忙しくて新規事業どころではないまま、どんどん時間が過ぎてしまいました。「これはちょっとマズいな」と思った頃、今度はアメリカに行こうと思ったんです。
アメリカはベンチャーのメッカだから今度こそは新規事業を思いつくだろうと踏んだわけです。あと、私はベイン時代はMBA取得者ということで、それなりの責任を持たされてプロジェクトに参加させていただいたのですが、英語が全く出来なかったのです。将来、何か事業を始めるのであれば、グローバルな発想でやるはずだと思っていたので英語を話せなければダメだと思い、そのために集中的に英語を勉強する必要性を感じました。英会話学校にも通っていたのですが、十分ではなかったので。
―アメリカに行かれてから事業案は思いつきましたか?
授業の課題と英語が大変で、それがまた新規事業どころではありませんでした(笑)。そうやっていつも先延ばしにしてしまうのですが。ケネディスクールでもビジネススクールと同様に発言をしなければ落とされてしまうので、英語の内容が分からなければ話にならない。ただ、英語は2〜3ヶ月くらいしてから急に分かるようになってきて、その後は順調に推移したのですが、最初は大変でした。
その後は、「モニターカンパニー」というハーバード大学の教授達が集まって作ったコンサルティング会社のボストン本社に就職しました。そこで待遇もよくなってきて、それなりに満足した日々を送っていたのですが、そもそも原点に立ち返って、「あのとき積水化学をやめたのは何だったのか」「コンサルタントとしてそれなりの人生を歩むためなのか」「何か事業を興して成功するためだったのではないか」と思ったのです。このままいくと、どんどん時間が経ってしまい、当初の目的を達成できなくなってしまうのではないかと不安に思いました。
それで、一緒に事業をやろうと誓い合ったベイン時代の同僚のリチャード(*)と話し合って、「とりあえず、会社をやめよう」ということになりました。どうなるか分からないけれど、退路を断って本格的な事業探索を始めようということにしたわけです。
「108の事業案」で独立
―ところで、新規事業を考える際に重要だと感じたことはありますか?
そうですね。一つ言えるのはボーッと考えているだけではダメだということです。縁があって慶應ビジネススクールで「事業プロセス論」という講座を担当したことがあるのですが、事業を興すまでの方法論を体系的に理解する必要があります。私の場合、それをビジネススクールで得ました。
―いざ事業をはじめるときの資金はどうされましたか?
その当時、学費の返済やらで貯金は数百万くらいしかありませんでした。それも事業探索の過程でほとんど使ってしまいました。私が幸運だったのは、あるヨーロッパの投資家グループとの出会いがあり、初期資金の大部分を出資してもらえたことです。資金調達にはいろいろ工夫しました。
―はじめにやった事業はどういったものだったのでしょうか?
具体的にはヨーロッパの付加価値税(*)の還付サービスです。その次はアメリカの特殊な保険の日本初の代理店をやりました。両方とも規模は小さいながら安定的に収益を生み出す企業へと育ちました。保険事業の方は、4年前にヘラクレスに上場しています。アドバンテッジリスクマネジメントという社名です。
―それから今のプライベート・エクイティとはどのようにして繋がっていったのでしょうか?
私とリチャードがベインに就職したときに、「ベイン・キャピタル」という高付加価値提供型のプライベート・エクイティ・ファームが出来て、急成長を遂げていました。それを見て、「絶対日本でもこういう金融機能の必要性は出てくる」と確信しました。ところが、独禁法の関係で、金融投資の目的で特定の企業を買収するということは法律的に認められていなかったんです。ただ、これまでの経験からしてだいたい日本は10年遅れて規制を緩和していくということを感じていたので、「いつかは日本でも出来るようになるだろう、それまで待とう」ということで、先ほどのような二つの事業をやっていたわけです。
そうこうしているうちに、懇意にしている弁護士から独禁法の改正の報告を受けて、10ヶ月くらいかけて30億円ほどの資金を集めました。それで立ち上げた第一のファンドが世間で言われている日本初の「プライベート・エクイティ・ファンド」あるいは「買収を専らの目的とした投資ファンド」です。
求められる人材像
―ありがとうございます。これからこういったビジネスは非常に注目されると思うのですが、どういった人材が求められているとお考えでしょうか?
プライベート・エクイティ投資事業に関与するということは非常に幅広い知識とスキルが求められます。ある見方をすれば、金融投資ですし、ある見方をすれば事業投資でもあります。それに経営そのものでもあるし、コンサルタントとしての機能もある。
それに我々の今までの展開を見て頂いても分かりますが、業種が多岐にわたっているんです。特に、日本はそんなに投資機会があるわけではないので、特定の業種に絞ることが難しい。そう考えると、色々な産業や業界に対しての「クイックな理解力、適応力、深い洞察力」の三つの側面が求められると思います。
また、様々な変数を駆使した非常に精緻な企業の価値評価も求められますので、金融の知識というのは基本中の基本です。
もう一つ重要なのが、会社を買収して企業価値を上げて売却するということは、インデックス投資や為替の投資と違って統計的なデータを相手にするわけではなく、常に人が相手という事実です。戦略を立案してこういう風に変えていきたいのですと提案しても、従業員が拒否すれば何の意味も無い。この会社をこの値段で買収して頂きたいと言っても、それは高すぎると突っぱねられるかもしれない。だから、全てのステージにおいて、先方の共感を得て自分たちの考えを理解していただくというコミュニケーション能力、説得力も非常に必要だと思います。それは関本先生の産業心理学でも学ばせていただきましたし、積水化学時代に人事部にいたのでその辺りは非常に学ばせていただきました。
これからの日本経済
―これからのビジョンというものはありますか。
我々の中期ビジョンとしましては「日本発のマルチナショナルな世界のトップ10に入るプライベート・エクイティ投資ファーム」になるという目標に向かって全員で頑張っています。今回のリーマンショックでスケジュールに若干のずれは生まれてしまいましたが、日本発のこの分野の企業というものは非常に少ない。せっかく日本に生まれたのだから、日本生まれを押し通していきたいと思っています。
―そのリーマンショックと絡むのですが、笹沼さんのこれからの日本経済の展望を教えていただきたいのですか。
先のことはわかりません(笑)。しかしこれからの日本は「今は悪いけれど、じきに良くなる」という単純なサイクルには多分ならないと思います。経済規模はこのままでは漸減していかざるを得ない。その中で、私は日頃から三つのことを言っています。
一つは、本当の意味でのグローバル化。これまで良く言われてきたグローバル化は日本を代表する数十社の超大手企業とその系列が世界で大活躍したにすぎない。これからいよいよ内需がしぼんでくる中で、成長を目指すのであれば国内だけの展開ではありえないでしょう。中小も含めた相当数の企業が日本で成功したサービスや成功のモデルを東南アジアや中国やインドなどの成長している国で展開することが求められていると思います。そこを実行に移せる企業とそうでない企業の差というのは大きく出てくるはずです。
それから二つ目として、大企業もベンチャーもより「研究開発型」の経営にならざるを得ない。「インターナショナル・プロダクション・ライフサイクル」という理論があるのですが、これは「物の生産は地球上のよりコストが安い場所にシフトしていく」というものです。日本が今のアジア諸国よりローコストの国になれば、製造業も戻ってきますが、それは恐らく有り得ない。
今は中国、さらにはカンボジア、バングラデシュまで生産の拠点が移ってきてますが、ゆくゆくはアフリカまで移っていくのではないでしょうか。私が子供の頃は日本が世界の工場だったのですが、今はそうではない。それではどうやって日本が生き残るか。それは「より高度な研究開発」がカギになってくるのではないでしょうか。これは日本はやれば出来るし、これまでもある程度の成果を上げてきています。言うなれば「研究開発立国」になるべきだと思います。特に日本はこれまで応用研究で成果を上げてきたのですが、これからは基礎研究でも力を発揮しなければならない。
ですから、最先端の研究をして、初期的な試作段階くらいの生産は日本でやる。それがヒットすればローコストな製品が必要になってきますから、量産の拠点は海外に移すという流れになってくると思います。
こういった流れを受けて、国も企業も、もちろん皆さん学生の方々もより「知的で高度なスキル」を身につけることが求められていると思います。よく「理系離れ」とか言われますが、これはかなり深刻な問題ではないでしょうか。これが三つ目です。
海外のエリートにある「全人格的自信」
―ありがとうございます。最後に学生時代にやっておけばよかったと思うことは何かありますか?
勉強です。私は一年浪人して慶應に入ってきたのですが、どこか疲弊しているところがありました。学生運動とかもありましたし・・・これは言い訳ですね(笑)。ハーバードに行った時もでしたが、今の仕事で世界中のプロフェッショナルとお会いして思うのですが、日本以外の欧米アジアのエリートと呼ばれる方は大学院からでなく学部時代も、ものすごく勉強してきている。その間というのは、知識の獲得を通じて最も人間として成熟するんですね。そのときに、少なくとも私は自分の知的能力を最大化するために時間を使わなかった。何となく、ダラダラとモラトリアムを過ごしていた。知的成長に大きなロスがあったと思っています。![]()
海外の方々とお会いすると、大学を出たエリートであるという責任感、プロフェッショナルとしてどうやって社会や企業に貢献していくかという高い意識を感じます。
今でもいろいろな国際会議に出てみますと、差を感じます。教養のレベルが違う。ただ単に、ビジネスの話をすればそれは出来ますが、教養の広さや深さ、そこから来る全人格的自信、魅力は全然違いますね。これは今後世界でリーダーシップを取っていかなければならない日本人全員が考えていく問題だと思っています。
―ご多忙の中、ありがとうございました。これからより一層のご活躍を心より期待しております。